真面目に生きるのも楽しいよ

イタリア帰りの理系大学院生が、真面目でいることを自己肯定するために、勉強・大学の研究室・英語などなどについて綴ります

国民性の違いって難しい、というか、あるのか

どうもどうもです。2月も終わろうとしていますね。

今年のトリノの冬は暖かいようで、昼間はコートもいらないほどぽかぽかとした日々が続いています。

 

いよいよ日本に帰る日が近くなってきました。

日本で何をしようか、と考えることも多くなり、

とりあえず食べログを漁って「東京のどこで飲もうかな~」と探しています。

デリリウムカフェは絶対に行きます。ベルギービールが恋しいです。

ドイツよりもベルギー派です。

 

で、帰る前にレポートの提出! が待ち受けているんですが、期限の2週間前にして、概ね終わりました。19枚。なげえ。

Google Translateも他の翻訳サイトもほとんど使わず、辞書を片手に頑張りました。

おかげでイタリア語の論文が読めるようになりました。

この話はまた今度。

 

で、今日書きたいのはそんなことじゃなくて。笑

以前もちょろっと書きましたが、日本とイタリアの違いに気付くことが大切だ、と常々言われ、まあそうですね、と考えながら過ごしてきました。

レポートにも違いについての項目を設けて、一応色々書きましたが、果たしてこれって重要なのかね、と思えて仕方がありません。

 

というのも、うーん、今この記事を書きながらも悩んでいるんですが、

色々な意味で難しいんですよ。

例えば、仕事について何か言おうとすると、研究所で研修を受けてるので、イタリア人と言えども、ちゃんとしている人が多いんですよ。

違いと言えば、コーヒーブレイクの長さくらいだと思うんですけれど。

でも、レポートに「こっちめっちゃコーヒー飲みます!」って書いてもね。笑

と、そもそも日本で働いたことがないから、仕事について比べることは難しいんですよね~あぁ~。

 

となると、性格というか考え方の違いについて述べるのが良さそうなんですけれど、

突き詰めれば突き詰めるほど、イタリアっぽいことって何だ、日本っぽいって何だ、に行きついちゃうんですよ。

だって、日本人でも一人ひとりが持っている日本の印象って違うはずですし、僕がイタリアについて思うことなんて、数十人のイタリア人から受けた印象に過ぎませんし、結局レポートで述べられるのは、この僕が何を思っているのか、ということだけ。

でもレポートっていう名目に引っ張られて、客観的にならねば、と変なところで頭を悩ませ。

けれど良いのか、それで。

レポートは主観に基づいていて良いのか、でも客観なんてもの元々存在しないと思うぞ、と良く分からないことを考えて、自身のレポートの評価を自分で下げる日々。

 

簡単に言うと、日本はこう! イタリアはこう! 違うねあはは、なんて書きたくないけれど、いつも聞かれるのはこういった質問。

一年いただけで、イタリアってこういうところだぜー、へへ、と言える方がおかしいし、日本について言おうとしても、日本って一億人以上の人がいるしなあ、結局イメージというか、僕の意見に基づいて比べることになるしな、という葛藤。国で一括りにして考えを述べることって難しいと思うんだけれどなあ、一個人が。考え過ぎなのかもしれん、けれど、日本人って~、とか、イタリア人って~、って言うのはどうしても嘘だと思う。そう言っちゃえば楽なんだけれどね、説明もしなくて済むし。