典型的な日本人って誰だ?

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僕は今、上司とかなり離れたところで毎日パソコンをカタカタしているんですが、

(多分、こんな不思議な環境で研修を受けているのも僕だけなのかな)

たまに上司に進捗報告がてら顔を合わせる度、彼は僕にこう尋ねます。

 

それは、

「りゅう、日本とイタリアの違いは何か見つかった?

というものです。

 

僕は何か答えようとするんですが、うーん、とその場で考えてしまいます。

たくさんあるとは思うけれど、一体何を話せば良いのか。

こんな漠然な質問に答えようがそもそもあるのか。笑

すぐにパッと何か言えばいいんですけど、真面目過ぎるのか、適当なことも言えずに、僕はいつもうやむやにしてしまいます。

 

僕の研修の目的は、めちゃくちゃ簡単に言うと、彼の質問の中にもあるように、

「ヨーロッパと日本を比較しながら、二つの異なる文化を取り入れ、ちょっと変な理学生になること」です。

一方、僕を受け入れている企業の方も、僕から日本の何かを掴もうとしています。

まあ、一介の大学院生でしかない僕から出てくるものなんて、たかが知れているので。笑

ご好意で僕を受け入れてくれているところが大きいんですが。

 

ただ時折、「僕はどう見られているんだろう?」と感じることもあります。

どうも、THE 日本人として接していないか? と。

 

最もそれを感じたのは、ある日、仕事の話を上司としていたとき。

内容は全く憶えていないんですが、ふんふん、と話を聞いていた僕に、彼はふとこんなことを言いました。

「りゅう、分かっているよ」と。笑

日本人が、今のりゅうみたいにニコニコ笑うのは、話の内容が分かっていないときだよね

 

その言葉を聞いた僕は、「ん?」と何か心に引っ掛かりました。

実際のところ、僕は彼が言っていたことをちゃんと理解していましたし、

友達なら分かると思うんですが、僕は誰かといるとき、大抵笑っています。笑

これは僕の個性というか、僕の性質でもあるはずなんですが、どうやら彼の目にはそう映っていないらしい。僕はそう気付きました。

僕は典型的な日本人として、見られているのではないだろうか? そう思ったのです。

 

僕は日本で生まれ、日本で育った日本人ですが、果たして典型的な日本人なのでしょうか。

そういった、国民性、という言葉を思い浮かべるとき、哲学者ウィトゲンシュタインの逸話が頭に浮かびます。

 

あるとき、ウィトゲンシュタインの教え子が、新聞のある記事について話していました。

ときは第二次世界大戦。その記事は、イギリスがドイツのヒトラーの暗殺を企てていた、と報じるものでした。

ウィトゲンシュタインが弟子に尋ねます。「君はこの記事についてどう思うか?」

弟子が答えます。「イギリス人の国民性を考えると、本当だと思います」

それを聞いたウィトゲンシュタインは激しく怒りました。

君は本当に哲学をやっているのか?」と。

 

手元に該当する本がないので、細かい部分が正確ではないかもしれませんが、お許しください。

僕はこの話が大好きです。ウィトゲンシュタインの怒りがよく理解できるからです。

国民性というものがあるのは否定しません。それは僕もあると感じています。

よく言われるように、日本人はちょっとシャイで、積極的というよりは消極的、ばか真面目、という性質は確かに存在するとは思います。

しかしこういった国民性は、あくまで広く見て平均的に言えるものであり、勿論そこから外れている人もいれば、ぴったりど真ん中にくる人もいます。

そこに当てはまるかどうかが重要なのではなく、僕が言いたいのは、

そういった平均的なものを、個人に当てはめるのは間違っている

ということです。

 

上のウィトゲンシュタインの例を取ると、イギリス人の国民性と何となく一致するからと言って、「まあやりかねないな」と判断することは、差別や偏見につながりかねません。

暗殺だって、イギリス人が全員望んだわけで決してなく、あくまでその計画は個人が企てていたはずです(記事の真偽は別として。仮に真としたときに、ですよ)。

そういった国民性というイメージに過ぎないもので、物事を判断することは過ちをもたらします。

 

僕だって、確かに日本人です。日本人らしさがあるのも認めますが、日本人として意識しながら今まで生きてきたわけではありません。

僕たちはみんな、何かしら日本人っぽいものは持っているとは思いますが、全くイメージ通りの典型的な日本人なんて、どこにもいないと思います。

 

僕の頭の中にある図は、こんな感じです。

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くそわろた、と。笑

数学の集合のように、重なっている部分もあれば、イメージに当てはまらない部分もたくさんあります。僕はそう思います。

 

初めの上司の質問「日本とイタリアの違いは見つかった?」に戻ってみると、僕が即答できないのも、こうした考えが根底にあるからかもしれません。

僕は確かにイタリアでイタリア人と接していますが、それよりも、一人ひとり個人として接しているのでしょう。

 

でも、そうじゃないですか?笑

僕が職場でよく接するのは多く見ても20人くらいで、そこからイタリア人らしさを見つけろと言ったって、国民性よりも個性が見えてくるばかりですもん。

真面目過ぎるのかもしれませんが、僕にとり、一人ひとりと接する場合に、イタリア人のイメージを頼りにするのはちょっと奇妙な話です。

 

難しい話です。プログラムの性質上、仕方のないことなんですが、「日本人がニコニコ笑うときは~」と言われたときの、もやもやっとした気持ちは今でもなかなか忘れられません。