真面目に生きるのも楽しいよ

イタリア帰りの理系大学院生が、真面目でいることを自己肯定するために、勉強・大学の研究室・英語などなどについて綴ります

イタリア人に対して、日本人の抱くイメージ

イタリア人に対して、日本人の抱くイメージと言えば、

明るい 陽気 すぐに女性を口説く 酒飲み 美食家 顔立ちが良い

こういったものではないだろうか。

当たっているものも勿論ある。しかしそうでもない、と僕は言いたい。

 

まず初めに、酒飲みというか、いつもワイングラスを持っているイメージについて言及したい。

 

彼らは決して酒飲みばかりではない。

このイメージは、少しでも考えてみれば、すぐに正しくないと気付けるずだ。日本人にも酒に滅法強い人もいれば、全く酒を飲めない人もいる。遺伝だけではなく、体型も酒の強さに関わってくると聞いたことがある。みんながみんなガバガバ飲むような国など存在するはずもない。

今となってはこのように僕も主張できるが、実際のところ、イタリアに来るまで、僕もそんなイメージを持っていた。

18年の4月から8月までホームステイをしていたが、その家族は全く酒を口にしなかった。

イタリアワインを毎日飲みたい、と望んでこの国にやって来たのに、どうして僕はこの環境に送られたのだろうか、と初めはがっかりした。諦めきれずに、こっそりとスーパーでワインを買い、見つからないように自室に持ち込んでいると、一週間もしないうちにバレてしまった。日本人は何て酒に強いのだろうと、彼らは心底驚いていた。

一般的なイタリア人は一般的な日本人よりも酒に強いだろうが、決して飲兵衛ばかりではない。

 

それよりも僕が声を大にして言いたいのは、イタリアの酒に関するマナーは日本よりもずっとしっかりしている、ということだ。

 

居酒屋というか、酒の飲める簡易なバーのような場所は、イタリアの方が圧倒的に多い。

バスの中から窓の外を眺めていると、綺麗に瓶の並んだバーがいくつも目に入る。そしてそのカウンターでは、決まって恰幅の良い男性が立ちながら飲んでいる。

しかし僕は、彼らが酔っ払ってふらふらになっている姿を一度も見たことがない。

人前で酔っ払うのはみっともない、という考えをイタリア人は持っているらしい。本のタイトルは忘れたが、僕は何処かで読んだことのあるその文章が忘れられない。

立派な思考である。人前で酔ったところで、自身の醜態を晒すだけではないか。

 

日本人はどうだろう。

僕は居酒屋の雰囲気は好きだが、飲み会はあまり見られたものではない。

酔うことを目的にして、とにかくがつがつ飲ませようとする習慣が、僕はどうにも好きになれない。

潰れた人が道端に座り込んで、誰かに背中をさすられているような場面が当たり前になっているこの国は、傍から見れば、奇妙、だらしがないものとして映るだろう。

 

平安時代にも、現代のようなとにかく飲ませる飲み会が行われていたという記述を読んだことがある。

一体、どこからこの文化が始まったのか想像もつかないが、僕は日本の国民性も大いに関係していると思う。

 

イタリア人と比べて、日本人は明らかに感情を表に出さない。

何も言わずに状況を読んだり、場の雰囲気を壊さないようにしたり、自身の感情よりも周囲の環境を大切にすることが多いのは明らかだ。

僕たち日本人は一人ひとり、本音を発せられないことの息苦しさを日常的に感じており、そして他人も同様に、言いたいことを言えていないのを知っているのである。

だから酒の力を借りて、そういったマナーの壁を取っ払い、心から笑ったり愚痴を言ったりしたいがために、飲み会では気色の悪いコールを使ってまで、皆に酒を飲ませたいのではないだろうか。

日頃の鬱憤が貯まった結果が、あの飲み会なのではないかと僕は思っている。

 

イタリア人に対する他のイメージについても言及したかったが、大分長く書いてしまった。

時間に余裕のあるときに、他のテーマにも触れたいと思う。