真面目に生きるのも楽しいよ

イタリア帰りの理系大学院生が、真面目でいることを自己肯定するために、勉強・大学の研究室・英語などなどについて綴ります

【本・感想】AI vs. 教科書が読めない子どもたち / 新井紀子さん著【衝撃的な後編に思わず......】その①

こんにちは。りゅうです。

先日、タイトルの本を読み、内容に大きな衝撃を受けたので、本記事を通して紹介したいと思います。

(関係ない話ですが、昔あんなに好きだった小説を最近めっきり読まなくなってしまいました......何となく寂しい)

  

【2019年ビジネス書大賞 大賞】AI vs. 教科書が読めない子どもたち

【2019年ビジネス書大賞 大賞】AI vs. 教科書が読めない子どもたち

 

 

 

要約

前半では、AIを論じるに当たって、よく取り上げられる議題である、

シンギュラリティや強いAIの現実味について触れ、その可能性を否定されます。

AIにできること、できないことを明確にした上で、

「AIにできないことを、そもそも人間はできるのか?」という問いの元、

行った実験の結果を後半で分析しています。

が、その結果はあまりにも無残

結果と考察を通して、

教育とは何か? 小中学校では何を教育すべきか?

そして、人間の核となる能力とは何か?

と、教育や生き方について深く考えさせられました。

 

危機感を持たなきゃ......

 

AIに対する理想と現実

f:id:uno_fktr:20191126205837p:plain

 

以前、どこかの記事で触れたこともありますが、

AIに対して一般人の持つ理想と、実際にAIの出来ることの差が広すぎます

 

最近ようやくブームも落ち着いた印象を受けますが(主観に基づく)、

ほんのちょっと前まで、何でもかんでもAI、AIと持ち上げるといった世の流れが見受けられました。

 

ただ、その理想から生まれるシンギュラリティの話や、

ターミネーターのような世界を予想する話には、いまいち共感できませんでした。

 

というのも(僕の小規模な知識に基づく意見ですが)、

現時点でAIは自ら思考し、新しい目的を持つといったことは出来ないからです。

 

達成したい事柄と、それを達成するために注目すべき事柄は、

人間が設計し、学習させない限り、AIが自律的に見つけ出すことは不可能だからです。

 

所謂「フレーム問題」を機械が超えることは、相当難しいのでは、と僕は思います。

AIが画像を見ても、どこが意味のある(着目すべき)ポイントなのかは瞬時に判別できず、

悪意を持ったフェイクにも簡単に騙されてしまいます。

 

意味を理解するということ

AIがフレーム問題にとらわれてしまう理由の一つに、

AIは意味というものが分からない、という点が挙げられると思います。

 

ご本の中の例を、ちょっと変えてご紹介すると......

 

「昨日、山口と広島に行った」

「昨日、山田と広島に行った」

という二文があるとします。

 

前者を機械的に英訳すると、

"I went to Yamaguchi and Hiroshima yesterday"

ですが、後者も同様に

"I went to Yamada and Hiroshima yesterday"

と訳されます。

 

が、僕たち日本人は、後者の訳文はちょっとおかしいと気付くことが出来ます。

山田は県ではなく、恐らく人の名前だからです。

よって、正しい英訳は、

"I went to Hiroshima with Yamada yesterday"

とすべきです。

 

しかし、機械にとって、元の文「山田と広島」は名詞の並列としてしか読むことが出来ず、

どちらの行くの目的語として処理してしまいます。

 

僕たちには県名、苗字と判断のつく事柄であっても、

機械にとってはどちらも名詞にしか見えません。

 

山田は苗字かも......? という推測を持つことすら、機械にとっては難しいのです。

こういった問題は、元の文が悪いというより、AIが文章の意味を捉えられないことに大きな原因があります。

 

自然言語処理をやってみても......

f:id:uno_fktr:20191126205919j:plain



以前、僕自身、

「夏目漱石の作品をAIに読み込ませ、漱石っぽい文章を自動生成する」

ようなAIを作ったことがあります。

 

どこかの本を開けば、すぐに出てくるような例ですが。笑

 

結果、学習するにはするんですが、AIの生成した文章は

夏目漱石の使う単語を、確率的につなげていっただけ

のものに過ぎませんでした。

文を読んでみても、漱石らしい単語が並ぶだけで、意味は全く分かりません。

 

僕の試した方法では、ある単語の後ろに来るであろう単語の出現確率を求めただけで、

意味や文脈を全く無視した学習をしただけです。

 

じゃあ意味を読み込ませればいいじゃん、とお思いの方もいらっしゃると思いますが、

意味をデータ化することを、果たして想像できますか?

 

文章の意味というのは、単語一つひとつを辞書で調べていけば分かることではなく、

組み合わせと文脈によって、著しく変化し得るものです。

同じ文章を書いたとしても、その文が登場するタイミングによって、その意味は全く変わってしまいます。

 

文章の論理を読み解くことと、文章の意味を理解することは、

実は全く持って別なことなんです。

 

いったん終わり

書き始める前の予想を超えて、前半の内容に触れただけであまりにも長くなってしまいました。笑

一旦ここで区切りたいと思います。

次の記事では、僕が衝撃を受けた実験結果についてお話しします。

 

かなり勉強になる本だったので、AIにご興味のある方は必読かと存じます。

ではでは。