イタリアのバス
今日は良い日であった。
というのも、今朝は会社に向かうためのバスが、きちんと時刻表通りに着たからだ。
そんなしょうもないことで、と言われそうだが、時間通りにバスが着たことは今日が初めてで、日によっては信じられないくらいバスが遅れてしまうのがこの国だ。
遅れるだけでなく、何故か予定よりも早く行ってしまうこともある。アパートを出た瞬間に、目の前の道路を無情にもバスが通り過ぎて行ったことは何度も経験した。
明るくて心の広いイタリア人なら、バスの時間くらい気にしていないだろう、と思われそうだが、そんなことはない。灰色の空の下、寒さも相まってイライラしながら、バス停の辺りをうろうろと歩き回る人はいくらでもいる。そんな人びとの姿を見ると、僕はここまでイライラしてはいないな、と少し心が安らぐ。
一度、50分もバス停でバスを待ち続けたことがあった。
僕はもう慣れたもので、またか、と思い、すぐにタブレットを取り出して本を読み始めた。
そのまま10分もしないうちに、バス停の周りには何人もの人が集まってきた。
大抵の人は、僕と同じように、またか、と取り敢えず思った後、ぼうっと立っていた。
そこから更に10分経つとさすがに、あれ、とキョロキョロ首を回す人が出てくる。
そわそわと時計を何度も確かめたり、意味もなく足を動かしたり、見るからに不安とイライラに苛まれている様子を見せる人もいる。
すると突然、僕に一人の女性が話しかけてくる。
僕はイヤホンをはめているので、彼女が何を言っているのか全く聞こえない。僕が慌てて耳からイヤホンを取り外すまでの間に、彼女はもう言葉を言い切っていた。何? と聞き直すと、
「――番のバスはもう行っちゃった?」
いや、僕もそれを待っていますよ、と返すと、そうかそうか、と何とも言えない表情でまたぼうっと立つ姿勢に戻っていった。
ちなみに、――番のバスは、と聞かれるのはよくある話で、イヤホンをはめている僕に容赦なく何かを言いまくるのもよくある話だ。
結局、その日、バスは来なかった。
時計を見ると、いつもならとっくに会社へ着いている時間であった。
はあ、と僕はため息をついて、その日のバスを諦めた。
Google Mapsで調べると、近くで他のバスに乗れるらしい。
近く、と言っても、20分も歩いた。そこで何とかバスに乗り、やっと会社に着いたのは、家を出てから1時間半以上も経った頃であった。
さすがに職場で、誰かに何か言われるだろうか、と少しびくびくしていたが、何のことはなく、いつも通り挨拶を交わした。
机に座るなり、「――(僕の名前だ), vuoi il caffè?」とコーヒーブレイクが始まった。
ここは日本じゃないんだなあ、とコーヒーを飲みながら改めて感じたのであった。