言いたいことを言う前に
ご無沙汰してます。今日はちょっと真面目な話を。
先週、あるニュースを読んで、心から悲しくなりました。
日本でどのように受け止められ、報じられているのか分かりませんが......。
何が起こったのか簡単にまとめます。
アリアナさんが自身の曲名にちなんだ漢字のタトゥーを入れ、それをネットに挙げたところ「間違っているよ」という指摘がたくさん寄せられました。
その指摘の多さと攻撃性に嫌気が差し、アリアナさんが今まで受けていた日本語のレッスンを辞めてしまいました。
僕はこのニュースを読むまで、アリアナさんが日本好きであったことを知りませんでした。
そして、このニュースを読むまで、日本が嫌になってしまったことも知りませんでした
(少し時間が経った今、アリアナさんがどう思っているのかは分かりませんが)。
寄せられた指摘には、
「私、日本人だけれど、日本のことをよく知らない人に使って欲しくない」
「(タトゥーの漢字の組み合わせが)変だ」
という心ないものまであったそうです。
ネットではさらに情けないことに、発言のうちの一つだけを取り上げ、
その発言が日本人によるものではないことを示そうと必死になり、
それに留まらず、何の証拠もなしに、ある特定の国家名を挙げ、
「またあの国か」と済ませようとしています。
あまりにも情けない。
この一連の流れから、いくつもの日本人の問題が見えてきます。
日本のネットはおかしいと一体どれだけの人が気付いているのでしょうか
日本のネットは奇妙です。汚すぎます。
YouTubeでもTwitterでもFaceBookでも何でも良いんですけれど、意見を自由に言える環境で、どうしてこの国の人びとはお互いを批判し合うんでしょうか。
ただの煽り、論理もくそもない暴言。こういったやり取りは、見飽きてしまうほどネット上に溢れています。
ネットで気が大きくなる、心の汚い部分がでてくる理由は色々考えられますが、長くなるので割愛します。
余談ですが、こういった汚いやりとりは、日本特有のものかと思っていたんですが、
外国のあるサイトで、似たような空間を見つけました。
どこだと思います?
メタル音楽のニュースサイトです。笑
まるで僕たちのように激しくやり合っていました。うーん。
メタルは大好きですけれど、うーん。笑
僕たちの問題であるのに、何か他のことのせいにして、考えることを放棄する
一つの発言を取り上げ、「これは日本人になりすました〇〇人だ」という訴え。
まず、仮にこの主張が正しいとして、何だって言うんでしょうか?
他にたくさんの日本人が指摘したことは依然として事実であるのにも関わらず、
この一言が逆鱗に触れた
↓
けれどこの発言は日本人によるものじゃない
↓
まーたあの国か、困ったもんだね
と、問題から目を逸らしているだけ、しかも他の国のせいにしている。
何なんでしょうね、これは。
文句を言ってはキリがありませんが、これ、色々なところで見られる現象だと思うんです。
僕たちの問題であるはずなのに、話を逸らし、目も逸らす。
「こういうことが起こったけれど、これって特別な状況だし、おかしな人がやったことだから、私たちには関係ないよね」
この考え方も問題であるのに、誰もそれに気付かない。
自分自身の発言を、ちょっと離れたところから見る能力に欠けています、僕たちは。
日本人であることを鼻にかけて物を言う人が多い
そして、「日本人だけれど、日本のことをよく知らない人に使って欲しくない」という発言。
これと似たような発言が、移民に関する話題でも飛び交っています。
「日本語をしゃべれないくせに、日本に来るな」と。
勿論、こういった発言が一部の人によるものであることは分かりますが、
そんな人を生んでいるのは僕たちの社会であることは間違いありません。
僕たちはあまり外国人に対して寛容ではないようです。
単一民族国家に生きているからかもしれません。他の理由かもしれません。
その理由はここでは掘り下げません。
喋れないのに日本に来るな、や、よく知らないのに漢字を使うな、という言葉。
日本も様々な国の文化に囲まれていますが、その国々のことをどれだけ理解できているでしょうか。
フランスワインを飲んでいる最中に、見ず知らずのフランス人から
「え、フランスのことよく知らないのにフランスワイン飲んでるの?
やめてくんない?」
と言われるようなものですよ。笑
めちゃくちゃ嫌じゃないですか?
日本語を使ってくれるのも、日本に来てくれるのも、日本に興味や好感があってこその行為であるはずなのに、ちょっとした間違いに対して、偉そうにきつい言葉を投げかけるのは絶対に間違っています。
たまたま日本人として生まれ、日本語を喋れるだけなのに、まるで日本が自分たちのものであるかのように、へんてこなことを言ってしまう。
もし僕が、会話の中でイタリア語を間違えたとき、イタリア人から
「イタリア語喋れないなら、イタリアから出て行けよ」
って言われたら、もう死ぬほど嫌ですもん。
一気に嫌いになりますよ、イタリアのこと。
けれど僕たちは、ネットを通せば、匿名で、そういったとんでもないことを言えてしまうんです。奇妙じゃないですか?
想像力の欠如
こういった問題は、想像力の欠如によるものだと思います。
小学校でよく先生から、「自分の嫌なことは他人にしないようにしましょう」
と教えられますが、この言葉は少し不十分なのかもしれません。
「嫌なことって何だろう、どういうときに他人は傷つくのだろう」と想像する力が必要だと思います。
言い換えれば、自分の考えを少し離れて見直す想像力、でしょうか。
自分は正しいことを言っている、という確信があって、ネット上の発言が生まれていると思うんですが、
「あれ、本当に正しいのかな」と見直す意識と、ちょっとの知識、道徳観があれば、こういうくそみたいな発言は出来るはずがありません。
正しくない、間違いは正さなければいけない、そんな極端な考え方に固執して人を攻撃する風潮は危険です。
けれど、僕たちは既に、何でも言いたいことを発信しています。
本来、関係のない芸能人のプライベートにまで足を突っ込み、やり返されないことを確信しながら、言いたいことを言いまくるんです。
どうしてこんなにおかしなことになっているんでしょう?
僕たち日本人って、僕たちが信じているほど優しくも寛容でもないと思うんですけれど、この感覚って間違っていますかね?